さて、中小企業診断士の学習領域には助言理論なるものが存在します。勿論、診断士試験で必要とされる知識は、大学で研究されているような深い内容でなくさわり程度のものなのですが、実はここで学習した内容は管理人の生き方に大きく影響した部分でもあります。
助言理論の中には「ビジョンの創造」という項があります。その要旨をまとめると、『経営者が、将来、組織を具体的にどうしたいか、という明確なビジョンをYOUが示しちゃいなYO!』といった感じなのですが、管理人はこれこそ人の生き方にも応用できる考え方ではないかと思います。
つまり、将来自分がどうありたいかという具体的なビジョンを、できるだけ”点”に近い形で創造することが大切だと考えます。
例えば以下の図で、今、ある人の現状が円の中心の点であるとします。そして、この人の周囲360°は、この人の将来の方向性であるとし、弧の長さは時間の経過を意味するとします。つまり弧の端である円周は、その人のキャリアの最終到達点ということになります。

今、この人は、360°どの方向にも進むことができる、即ちあらゆる将来性を持っているとします。そして、例えば将来、公認会計士になりたいと決意したとしましょう。幅広い選択肢の中の一つである公認会計士という道は、360°ある可能性の中でも1°にも満たないかもしれません。傍から見れば、この人は将来に向かって立派に歩みだしたように見えます。しかし、360°の内から1°に絞れたとしても、そこで思考を停止してしまっては十分とはいえないと思います。なぜなら、この円の径の長さは途轍もなく長いものだからです。その端はキャリアの到達点を意味するのですから、40年という年月を掛けてようやっと到達する距離なわけです。そして、1°の幅の弧の端の道を直進し、そのまま40年間突き進んで到達した点と、もう片方の弧の端の道を直進し続け到達した点を比べると、同じ公認会計士という職業を選んだにも拘らず、両者の距離はまるで別の職を選んだときほどに開いてしまうかもしれません。道を歩き始めた当初はそれほど離れていなかった両弧の距離でしたが、いずれその人が弧の端に到達する頃になると、両弧の距離は、もはや容易に行き来することができないほどにまで広がってしまっています。片方の端に到達した人が、本当はもう片方の端に到達したかったのに、と嘆いたとしても、それはもう後の祭りであって、それがその人が歩んできたキャリアそのものなのです。

要は範囲である限り、自分の目指す将来像は完全に具体化されたとは言えません。そしてそうである限り、自分のキャリアは積み上げ式にならざるを得ません。ある仕事をこなすことで能力や経験を得、得た能力や経験に照らして、今の自分に次にできる仕事を探す。そうして進む道は、確かに最初に将来の方向性として定めた範囲の中に入っていることは間違いないですが、その範囲の中を曲がりくねって進み続けると、最終的にどの点に到達するかは到達してみないとわからない、というキャリアの構築の仕方になってしまいます。
範囲をできる限り点に近づけることで、最終到達点を意識して自分のキャリアを構築することができます。到達点を見据え、そこに至るために今の自分に足りない能力や経験を検討し、その能力や経験を得ることができる仕事を選択する。自分に何が足りないかを常に確認することで、確実に最終到達点に近づくことができます。近視眼的になって、今手持ちの駒を駆使して自分にできる仕事を探すのでなく、巨視的に構えて、自分の将来像に近づくために必要な仕事をこなしていく。本来、キャリア育成のあるべき姿とはこういうものじゃないでしょうか。
目標を点に定めると、道を修正するという作業が多くなります。目標を具体的にしようとするほど弧の角度は狭まり、道は細くなるわけですから、目標がハッキリしている人ほど誤った道を歩き出すとすぐに気付くことができます。目指す目標がぼんやりとした範囲である人にとっては、その範囲にある限り、例え進路が曲がりくねっていようともその進路は太い道の中にあるわけですから、道の修正は要しません。道の修正というのは肉体的にも精神的にもストレスのかかることなので、まぁ何とかなるかといった具合で自分の道を踏み進めていってしまいます。それに、目標がハッキリしてる人ほどそこに向かって突き進む推進力・爆発力が凄まじいですね。これはホントにそう思います。同じ会計士試験の受験生でも、ただ漠然とニート(じゃないですが)から脱却したいという思いが先に来ている受験生と、受かった後具体的にどういう仕事をしたいと考えて勉強している受験生とではやはり勢いが違います。
確かに、目標を点に定めるには、キャリアが次の段階に進まないと手に入らない情報が存在する限り、確実には決められない=今知ることはかなわないが、自分の知らない素晴らしい将来像が他にもあるかもしれない、という反論はごもっともです。しかし、今その点を定めることができないというのなら、いつになれば具体的なものとして定めることができるのでしょうか。どれだけの情報が手に入れられれば本当に自分のしたいことが見つかるのでしょうか。所詮世の中は不完全市場、どれだけ進んでも、たとえキャリアの端に到達しても得られない情報は数多く存在するでしょう。ひょっとしたらそっちの方が多いかも知れません。そうである以上、今入手可能な情報だけで判断するしかありません。そうして定めた点への道を進む途中で、当初の点の位置を揺るがす程の情報を手に入れたのなら、その時初めて新しい点の位置を検討すればいいのです。
40年後の目標が決まれば10年ごとに到達すべき途中点も決まるでしょう。そうしてブレイクダウンしていけば、明日やるべきことは自然と決まってくるはずです。確かにここでどれだけこんな概念論を大展開しても、労働市場が不完全市場である以上、机上の空論に過ぎないです。ですが、置かれた状況に身を任せてただ何となく生きるなんて生き方、管理人には到底できません。人生そう長くないです。目標に向かってやるべきことは、日々、山のようにあります。
とりあえず管理人の最終目標のための当座の目標は、会計士試験にトップで合格することです。これができなきゃ何にも始まりません。こんなとこで躓くわけにはいかないので軽くクリアしたいと思います。
し!お! なんかしらんがよう書き切りました。次の更新はいつかわかりません。DTの新譜が出たら書くかもしれません。最近2〜3時間しか寝れません。大丈夫でしょうか。弱ってるときに
Through Her Eyes〜
The Spirit Carries Onなんて天逝コンボ喰らうとなんかもういいかなとか思うんですがどうですか。人の涙腺は、ピアノの旋律とゴスペル聖歌隊の熱唱、さらに哀愁チョーキングの泣き声を同時に聴くと自然と無条件に決壊する構造になっていますので、The Spirit Carries Onの後半あたりは、ふざけんじゃねぇ人様の前でなんて泣けるかってんでぃばーろーめいっというネイティブな江戸っ子さんであればあるほど細心の注意が必要です。
ほんの少しずつでもいいから相手を受容しようとする心を持てれば、人はいがみ合うことなんて無いはずです。価値観が合わないというだけで相手を排除するという、なんというエゴの塊。どうして、確かにそういう生き方、感じ方もあるよね、と認められないのでしょうか。むしろそれまでその価値観をどうして認められなかったのかという、反省する良い機会を得たとは感じられないでしょうか。映画『
バベル』を見てから勉強そっちのけでそんなことばかり考えてます。半世紀以上も生きておきながら今更価値観の衝突を繰り返す両親の醜態とか見てると正直うんざりします。間違いなくGWに公開するべき映画ではなかったですが、間違いなく素晴らしい映画でした。
某受験機関から依頼されていた中小企業診断士講座の公開模試がやっとあがりました。死ぬほど疲れたがな(´・ω・`)2000人位受けてくれるんでしょうか。今回も、制度が変わらない限り毎年出題し続けられるような良問を揃えたつもりです。来年も管理人が作成するかどうかは分かりませんが、もし来年作問するのが管理人でなかったとしても、次の作問者がこの問題を参考にしてくれて、そうやって診断士受験生全体のレベルアップに繋がれば作問者としてはこの上ない幸せです。
テレビで女子フィギュアの世界選手権をやってました。浅田真央選手が競技後に嗚咽してましたね。結果は逆であれ、上級の会計士受験生ならきっと一度はあの種の涙を流したことがあるはずです。あれは、あらゆる私利雑欲を捨て去り、極限まで自らを律し、文字通り全てを投げ打って、1日10何時間、何年もの間一つのことに打ち込んだ者にしか味わうことができない種類の涙です。あの涙を流す人間がどれだけ頑張っきてたかよく分かるのでもうこっちまで泣けてきました。どっかの会計士資格の説明会で「ああいう涙を経験できる職業はそうは無い」みたいな事おっしゃってた会計士の人がいました。ホントそうだと思いますね。あれは人の価値観を変えるほどのものです。ってまぁ、その初志を忘れなければみすずの粉飾なんか起こらなかったはずなんですけど。